東京プライドパレード終了
2007年 08月 12日
■2007.08.11(sat) パレード当日
朝7時に集合。
なのだけど、30分ほど遅刻。
なのにしっかり朝マックを喰らう私。
腹が減ってはいくさはできぬのだ。
代々木公園ステージ前でフロートスタッフと合流した後は、ひたすらみんなでフロート車の組み立て。とにかく組み立て。必死に組み立て。
そして猛暑。熱風。汗だらだら。
しかし気張った甲斐あって、昼食前には全フロート車の準備完了。
やれやれ、とステージ横を通りかかった瞬間に『みんなでブラス』が始まる。
「これは見とかないと!」と叫んで即効で飲み物を買い、ステージ前のPAブースの前にこっそり潜り込み、好位置を確保して堪能。
その後、カレーをフードチケットで購入し、近場で一番でかい木陰でカレーを食っていると、黒いテンガロンちっくな帽子を被った細身の男性がビール片手に「そこいい?」と私の隣を指差すので、「どうぞどうぞ」と場所を空ける。
その男性は『FTM』の『元女性』で、自分のことを色々と話してくれた。
FTM治療を完成させるまでには、何年もかけて何回も大手術を繰り返さないといけない事とか。
腕にある四角い大きな深いえぐられた様な傷痕は、男性器を作るための移植用に取った物だとか。
学校は高校まで通うのが精一杯だった、(精神は)男な自分が女として学校という集団の中で過ごさなくてはいけなかったのがとても辛かった事とか。
何回も死んでしまおうと思っていた事とか。
男性ホルモンを打ち始めてひげが生えるようになったり、おっぱいを取ったり、子宮を取ったり、何段階も経て、少しずつ苦しみから解放されていった事とか。
だけど体の負担が大きくて、内臓疾患を色々抱えてしまう事になった事とか。
最後に彼はこう言っていた。
「自分は10年以上かけてやっと本当の自分になれた。
まだ完全じゃないけど、ここまでこれたので良かったと思っている。
自分は子供も残せないし、親や兄弟にも負い目がある。
せめて自分が残せるものは、同じ苦しみを持つ人の為に、自分のようにちゃんと国内で正規の方法で治療としての手術を受けられる道を残すことだ。」って。
いわゆる性転換手術を治療として行える所は埼玉医大があるのだけど、今現在、様々な障害が持ち上がって、手術を行えなくなっているらしい。
「このままでは、日本で治療としての性転換手術が出来る病院が1つもなくなってしまう。それは自分たちのような人間にとっては「死ね」と言われているようなものだ。」
とも言っていた。
カレーを食べながらそんな話をしているうちに、スタッフの集合時間になってしまったので、お別れをした。
別れ際に彼はこう言った。
「俺はあきらめないよ。ほかの病院や政府機関に働きかけて、一人でも働きかけて変えていくんだ。」
立ち上がったときに思いのほか背が高くて、被りなおした黒い帽子がとても似合っていたので
「こうして見るとけっこう男前じゃん」と言ったら
「立たない男でも良いなら電話番号渡すよ」だって
冗談交じりで、わはははーとかお互いに笑いながら「またねー!」って別れちゃったんだけど、連絡先くらい聞いておけば良かったかなぁ。
ちなみに彼は私と同い年だった。
午後2時50分
一号車『TPPプライド号』に乗り込み、パレード参加者との合流地点へ移動。
公園入り口には、参加者の隊列がすでにぎっしりと出来上がっている。
高く掲げられたピンク色の1号車の立て札が見える。
そしてほぼ最前列に『川田龍平』のでかい旗。
今年はパレード参加者とは別に、沿道からの応援者の熱い視線と無言の期待をやたらと感じる。
去年のトラブルをみんな知っているのか、出発直前を『固唾を呑んで見守る』ような雰囲気がある。
(このとき私は知らなかったのだけど、一号車フロートの隊列の中には、国会議員の川田龍平氏、世田谷区議の上川あや氏、社民党の福島みずほ氏、そして西原理恵子氏らも含まれていた)
走り回るスタッフ。実行委員。
マイクと音響のセットを完了し、アナウンス嬢二人と共に後続のフロート車の到着とパレード開始の瞬間を待つ。
しばらくして実行委員の中田たか志氏とべーすけ氏がこちらに向かってくるのが見える。ちょっとコワイ顔。
人の事を言っているバヤイではない、思わず鏡を見る。十分コワイ。
間も無く、そのお二人と前参院選立候補者の尾辻さんが乗り込んでくる。
完全にスタンバった状態で警察からの出発指示を待つ。
午後3時過ぎ
警察から「ハイ、出発してください」と言われる。
後に向かって「動きまーす!!!」と伝え、一号車を発進させる。
頭の中と左手で「ニュートラ」「一速」と確認しながらギアを変える。
後はひたすら一速で「ハンクラ」「ブレーキ」「アクセル」「ブレーキ」「ブレーキ」・・・の繰り返し。
車の後方を映すモニターで、横断幕を持った隊最前列の位置を睨みながら、横目で車幅を確認しながら、前を走る警察車両との間隔を目視しながら、車の前に張り付いている警察官の動きを確認しながら必死に車を動かす。
隊列から出来るだけ車を離したくないので、ほぼクラッチをベタ踏み。そしてブレーキ気味。常にエンスト警報が頭の中で鳴り響く。
途中、信号待ちのときはニュートラにしてクラッチから足を離せば良いじゃん、と思い出した頃にはすでに明治通りに出ていた・・・。
その後はやや気持ち的にゆとりが出来たものの、沿道の応援者を見る余裕は全くなし。
さぞかし怖くて不細工な顔になっていた事であろう。
すんげえ頭っから汗をだくだく流していた後に、居直っちゃって化粧も直さず運転席に乗ってしまった事も悔やまれる。
しかし、あの状態で、どうやって化粧を保てるのか、今度ドラッグクイーンの方にでも聞いてみたい。本気(マジ)で。
午後4時過ぎ
パレード帰着地点へ到着。
実行委員の御二方と尾辻さんを降ろすと同時に『任務完了』スイッチが入り、「わーい、早く戻って『Brass MIX!』を観るんだー!」モードになり、速攻で帰還。
車を停めると、その足でパレード帰着ゲートへ。
続々と戻ってくるパレード参加者達を『Brass MIX!』の演奏を聴きながら見物。
運転手をしていると、パレードの参加者がどんな人たちでどんな様子なのか全くわからないので、私はここで初めて、「今年のパレードはこんな感じだったのかー」とか、「あー、この人たちここのフロートの参加者だったのかー」とパレードの実感が沸くのだ。
午後5時頃
パレード参加者の帰着完了。
終了セレモニーが始まるが、私達は大慌てでフロート車のバラシ作業開始。
装飾を全て剥がし、組み上げたセットの解体。ひたすら解体。
『フロート車』から、ただの『2tロングトラック』に戻った車の返却へ。
午後8時頃
車の返却から戻るとすでに作業はほぼ完了していて、代々木公園は、暗いいつもの夜の公園の風景になっていた。
担当部門の作業もすでに終了していて、軽く集合したのち、解散。
ワカモノ達はみんなで『食事兼飲み』に向かったが、私はノンケの友人男子が来ていたし、部門長や部担当の実行委員氏達は参加しないようだったので、正式な打ち上げの時に参加させてもらう事にして友人と共に会場を後にした。
この後、ハイなまま新宿で朝まで呑んだくれるわけですが、それはまた後ほど。
東京プライドパレードで会ったみんな。
ありがとう。またね。
朝7時に集合。
なのだけど、30分ほど遅刻。
なのにしっかり朝マックを喰らう私。
腹が減ってはいくさはできぬのだ。
代々木公園ステージ前でフロートスタッフと合流した後は、ひたすらみんなでフロート車の組み立て。とにかく組み立て。必死に組み立て。
そして猛暑。熱風。汗だらだら。
しかし気張った甲斐あって、昼食前には全フロート車の準備完了。
やれやれ、とステージ横を通りかかった瞬間に『みんなでブラス』が始まる。
「これは見とかないと!」と叫んで即効で飲み物を買い、ステージ前のPAブースの前にこっそり潜り込み、好位置を確保して堪能。
その後、カレーをフードチケットで購入し、近場で一番でかい木陰でカレーを食っていると、黒いテンガロンちっくな帽子を被った細身の男性がビール片手に「そこいい?」と私の隣を指差すので、「どうぞどうぞ」と場所を空ける。
その男性は『FTM』の『元女性』で、自分のことを色々と話してくれた。
FTM治療を完成させるまでには、何年もかけて何回も大手術を繰り返さないといけない事とか。
腕にある四角い大きな深いえぐられた様な傷痕は、男性器を作るための移植用に取った物だとか。
学校は高校まで通うのが精一杯だった、(精神は)男な自分が女として学校という集団の中で過ごさなくてはいけなかったのがとても辛かった事とか。
何回も死んでしまおうと思っていた事とか。
男性ホルモンを打ち始めてひげが生えるようになったり、おっぱいを取ったり、子宮を取ったり、何段階も経て、少しずつ苦しみから解放されていった事とか。
だけど体の負担が大きくて、内臓疾患を色々抱えてしまう事になった事とか。
最後に彼はこう言っていた。
「自分は10年以上かけてやっと本当の自分になれた。
まだ完全じゃないけど、ここまでこれたので良かったと思っている。
自分は子供も残せないし、親や兄弟にも負い目がある。
せめて自分が残せるものは、同じ苦しみを持つ人の為に、自分のようにちゃんと国内で正規の方法で治療としての手術を受けられる道を残すことだ。」って。
いわゆる性転換手術を治療として行える所は埼玉医大があるのだけど、今現在、様々な障害が持ち上がって、手術を行えなくなっているらしい。
「このままでは、日本で治療としての性転換手術が出来る病院が1つもなくなってしまう。それは自分たちのような人間にとっては「死ね」と言われているようなものだ。」
とも言っていた。
カレーを食べながらそんな話をしているうちに、スタッフの集合時間になってしまったので、お別れをした。
別れ際に彼はこう言った。
「俺はあきらめないよ。ほかの病院や政府機関に働きかけて、一人でも働きかけて変えていくんだ。」
立ち上がったときに思いのほか背が高くて、被りなおした黒い帽子がとても似合っていたので
「こうして見るとけっこう男前じゃん」と言ったら
「立たない男でも良いなら電話番号渡すよ」だって
冗談交じりで、わはははーとかお互いに笑いながら「またねー!」って別れちゃったんだけど、連絡先くらい聞いておけば良かったかなぁ。
ちなみに彼は私と同い年だった。
午後2時50分
一号車『TPPプライド号』に乗り込み、パレード参加者との合流地点へ移動。
公園入り口には、参加者の隊列がすでにぎっしりと出来上がっている。
高く掲げられたピンク色の1号車の立て札が見える。
そしてほぼ最前列に『川田龍平』のでかい旗。
今年はパレード参加者とは別に、沿道からの応援者の熱い視線と無言の期待をやたらと感じる。
去年のトラブルをみんな知っているのか、出発直前を『固唾を呑んで見守る』ような雰囲気がある。
(このとき私は知らなかったのだけど、一号車フロートの隊列の中には、国会議員の川田龍平氏、世田谷区議の上川あや氏、社民党の福島みずほ氏、そして西原理恵子氏らも含まれていた)
走り回るスタッフ。実行委員。
マイクと音響のセットを完了し、アナウンス嬢二人と共に後続のフロート車の到着とパレード開始の瞬間を待つ。
しばらくして実行委員の中田たか志氏とべーすけ氏がこちらに向かってくるのが見える。ちょっとコワイ顔。
人の事を言っているバヤイではない、思わず鏡を見る。十分コワイ。
間も無く、そのお二人と前参院選立候補者の尾辻さんが乗り込んでくる。
完全にスタンバった状態で警察からの出発指示を待つ。
午後3時過ぎ
警察から「ハイ、出発してください」と言われる。
後に向かって「動きまーす!!!」と伝え、一号車を発進させる。
頭の中と左手で「ニュートラ」「一速」と確認しながらギアを変える。
後はひたすら一速で「ハンクラ」「ブレーキ」「アクセル」「ブレーキ」「ブレーキ」・・・の繰り返し。
車の後方を映すモニターで、横断幕を持った隊最前列の位置を睨みながら、横目で車幅を確認しながら、前を走る警察車両との間隔を目視しながら、車の前に張り付いている警察官の動きを確認しながら必死に車を動かす。
隊列から出来るだけ車を離したくないので、ほぼクラッチをベタ踏み。そしてブレーキ気味。常にエンスト警報が頭の中で鳴り響く。
途中、信号待ちのときはニュートラにしてクラッチから足を離せば良いじゃん、と思い出した頃にはすでに明治通りに出ていた・・・。
その後はやや気持ち的にゆとりが出来たものの、沿道の応援者を見る余裕は全くなし。
さぞかし怖くて不細工な顔になっていた事であろう。
すんげえ頭っから汗をだくだく流していた後に、居直っちゃって化粧も直さず運転席に乗ってしまった事も悔やまれる。
しかし、あの状態で、どうやって化粧を保てるのか、今度ドラッグクイーンの方にでも聞いてみたい。本気(マジ)で。
午後4時過ぎ
パレード帰着地点へ到着。
実行委員の御二方と尾辻さんを降ろすと同時に『任務完了』スイッチが入り、「わーい、早く戻って『Brass MIX!』を観るんだー!」モードになり、速攻で帰還。
車を停めると、その足でパレード帰着ゲートへ。
続々と戻ってくるパレード参加者達を『Brass MIX!』の演奏を聴きながら見物。
運転手をしていると、パレードの参加者がどんな人たちでどんな様子なのか全くわからないので、私はここで初めて、「今年のパレードはこんな感じだったのかー」とか、「あー、この人たちここのフロートの参加者だったのかー」とパレードの実感が沸くのだ。
午後5時頃
パレード参加者の帰着完了。
終了セレモニーが始まるが、私達は大慌てでフロート車のバラシ作業開始。
装飾を全て剥がし、組み上げたセットの解体。ひたすら解体。
『フロート車』から、ただの『2tロングトラック』に戻った車の返却へ。
午後8時頃
車の返却から戻るとすでに作業はほぼ完了していて、代々木公園は、暗いいつもの夜の公園の風景になっていた。
担当部門の作業もすでに終了していて、軽く集合したのち、解散。
ワカモノ達はみんなで『食事兼飲み』に向かったが、私はノンケの友人男子が来ていたし、部門長や部担当の実行委員氏達は参加しないようだったので、正式な打ち上げの時に参加させてもらう事にして友人と共に会場を後にした。
この後、ハイなまま新宿で朝まで呑んだくれるわけですが、それはまた後ほど。
東京プライドパレードで会ったみんな。
ありがとう。またね。
by joule0203 | 2007-08-12 20:29 | Diary

